塗装工事発祥の地 横浜市中区だから


 建築塗装にとって横浜市中区は特別な場所。

横浜港の波と共に、黒船の荷室に保管されていた塗料も揺らぎました。

 

 横浜の皆さまはご存知の通り、様々な「日本発祥」がここ横浜にはあります。ビール、パン、アイスクリームなどの食べ物に始まり、水道、外灯、公園、舗装路、警察、鉄道、ホテル、銀行など、現代の日本には欠かせない社会的インフラに至るまで、西洋文化は横浜から日本全国へと発信されました。この文化の変換期、文明開化の幕開けの裏側で、ひっそりと現代様式の建築塗装も産声を上げました。

 

 時は江戸時代末期、嘉永7年3月3日(1854年3月31日)、江戸幕府とアメリカ合衆国が横浜村(現横浜市中区)で日米和親条約を締結し、この瞬間から日本は鎖国から開国へ進みます。現在の日本文化の礎となる、海外様式の西洋文化と産業革命、旧来の日本様式とが融合し、和洋折衷な日本文化が始まった瞬間です。

 

 その条約締結の歴史舞台、調停を行った横浜談判所の建物「応接所(※1)」の外壁の塗装工事こそ、現代的な国内の建築塗装のはじまりと言われています。

 

さざ波の音の中、潮の香りに混ざり、塗料の香りが条約締結の直前に漂っていました。

 

嘉永7年(1854年)横浜への黒船来航 ペリーに随行した画家ヴィルヘルム・ハイネによるリトグラフ
嘉永7年(1854年)横浜への黒船来航 ペリーに随行した画家ヴィルヘルム・ハイネによるリトグラフ

 

  その後、横浜居留地や周囲から広がった西洋建築の塗装工事により、化学塗料を使った現代の塗装技術は日本全国へと広まりました。このような経緯から横浜市中区は現代的な日本文化の発信地としては勿論の事、塗装工事にとってもエポックメーキングな場所であり、最先端の建築方法と塗装技法とが発信された中心地でもあったのです。

 

 それから約150年、私たち星美塗装はこの歴史的背景の中にあり、横浜市中区を拠点としているからこそ、先人達へ恥ずかしい仕事は見せることは出来ません。人々の生活と歴史と文化を守るため、建築、住宅塗装に精進し、志し高く皆さまへ最良な塗装工事をご提供しております。(※1開港広場、日米和親条約締結の地